今年もあと2日

今年もあと2日だが、ある意味、今年は得ることが多かった1年だった。

とくに、多く得ることができたのは人間関係に関する経験でより多く学ぶものがあった。

そもそも、人間関係と言う言葉はよく聞くがこれほど奥が深く、また、いろいろな解釈ができる言葉はないと思う。一緒に飲みにいったとかそういう関係は築きやすいとはいわないがもろく、より、意外な関係ほど長く続いたりするものだ。

僕の中で、人間関係の元になる人間性というかその人の存在の意味とは、その人が今までの人生でどのようなものを身につけてきたかということだと思う。今まで僕は、「君は勉強をよくして偉いね」と子供を褒める大人がよく分からなかった。なぜならば、ただ勉強したと言っても、自分の人生を豊にすることが目的なだけだから、そんなに褒められることでもないのではないかと。

でも、今年は、やはり、それは褒められるべきことだと思えるようになった。人生、大人になるまで、もしくは大人になって年を重ねる今までの間、何でも良いので真剣になにかをやって来た人は、その存在だけで尊いと思えるようになった。真剣にというのは、そのやろうとしていることに関して1〜10まで理解して成り立たせるということである。

逆に、まったく尊くないのは適当に人を使って、人に苦労させて自分はその苦労はしらずにお金だけピンハネするような営業だ。ひどい人間になると、人を使うリスクで追うべきものすら負おうとしない。こういうのはいくら真剣にやっても、この意味で真剣とは言えない。逆にいうならば、ピンハネとは、真剣になにかをやる努力をすることがバカらしいという観念に基づいてどれだけ楽をするかしか考えていないお金の儲けかただ。徹底的に効率を追求しすぎて、中身が空洞だからまったく工夫が出来ないし、自分のために相手の利益を妨害する嘘を多用する必要があるので一度壊れた人間関係は復活しないので、人生に蓄積がない。

今の時代、「〜が大変だ。」「〜がつらいけど一生懸命やった」なんてアピールは無駄だと思う。こういうアピールはピンハネ業の営業が決まってよくやることだが、「そう、大変ですね」とみな表面上は言うがだれも真に受けない。真に受けるのはそういっている人間自身だけ。

一般的に社会では「いままではやってないけど、これから努力します」というのは受け入れられない。むしろ「努力して結果を出してから来てください」というのが一般的だ。そもそも、努力というのは、結果が出て初めて受け入れられるものだ。でも、世の中、結果が出る前に人を信用したり、努力を認めることがなければ物事が進まないのも事実。

矛盾しているようだが、実はそうでもないとおもう。そういうときは、「これから努力します」ということをお互い信頼しあっているのではなく、今まで努力したことによって築いた人間性を信頼しているのだとおもう。だから、この現実の世の中で、「これから努力します」を認めると言うことは鶏と卵の問題を解決することであり、その活動から単純な安っぽい利益に流されることなく努力してきたものどうしが、お互いに恩恵を与えあうことが出来る。だから、勉強する子は偉いのである。

そういう関係において、片方が幸せであればもう片方も間違えなく幸せである。万人に対してそうでなくても、何か人生において真剣に頑張って来た人は、自分とは別のもので同じような境遇にある人を幸せにできる尊い存在なのだ。

来年は、といっても、いまもやっているが、そういう人間関係を第一にあせることなく、着実によい人脈を作っていきたい。