エリート症候群の記事について

以前「エリート症候群がベンチャーを滅ぼす」

http://d.hatena.ne.jp/i-zuka/20070617/1182055422

という内容の記事を書きました。
賛否両論があったと思います。ただ、自分としては、エリートは否定していません。やっぱり、学歴の高めの人って能力は非常に高いです。自分自身も、高田馬場にある、w大学の理工学部出身です。大学時代は、世間知らずだったので本当に回りにいる人間が普通だと思っていました。でも、本格的にビジネスを始めて、自分の回りにいた人が本当に優秀だったのだと気付きました。


それでも、僕は、ある教授のいった「大学の成績と出世は反比例する」という統計的データ(すべてがそうでないけれどもそうなるケースが多い)と言うのは合っていると思うわけです。


なぜ、そう思うか?それは、「高い能力、仕事が出来る能力」と「その能力を生かす能力」は別物だということです。僕自身は、高い学歴を誇っている人や、能力を認められている技術者は、やはり、それだけの努力をしてきたし、きちんと結果を出してきたわけなので、絶対にそのアドバンテージがあります。ただ、今の日本社会において、その「生かしかた」に関して非常に疑問に思うわけです。


たとえば、IT業界で言えば、僕は、絶対に単なる経営者より、技術者としての経験のある経営者の方が成功すると思っています。なぜならば、それはよりリアルな経営判断が下せることと、エンジニアをきちんと大事にできるからです。


そうは思っているのですが、実際の社会はどうかというと、そういう方向に走っているところもあればそうでないところもかなりあるのです。「技術者を捨てる」=「自分は経営者だ」と言う人が多すぎるように思います。技術者を諦めるという犠牲が自分を経営者に育てるなんてとんでもありません。技術をあつかう商売をやっているわけですから、それをきちんと評価出来るということは経営者としても非常に有利です。


今まで、技術を頑張ってきてこれから経営者になるという人はこれから多いと思います。でも、そこで、「人間の能力は足したらみんな同じ」とか「全部できる=何もできない」というセリフに惑わされる人は非常に多いと思います。これらに関しては、自分の意見をはっきりと言おうと思います。


これらは、全部、負け犬の遠吠えです。


そういうことを言って、努力することから逃れて、「お前も努力しないから自分も努力しないでOK」みたいな、学生が「俺はテスト勉強しないからお前もするな」みたいなことをいってるのと同じレベルです。

たとえばですが、2人の人間がいるとします。
AさんBさんと言うひとがいて彼らはもともと技術者でした。2人とも30才で社長になりました。今は二人とも50才ですが、Aさんは、社長になると同時に技術を捨てました。Bさんは技術者であることを捨てず、社長業が終わった自分の時間で技術の勉強を20年間たゆまず続けました。


この2人の能力が本当に総和で一緒でしょうか?


絶対にちがいますよね。やはり、技術そのものと、その生かしかた両方を知っているBさんの方が圧倒的に強いです。それに、「技術をやりながら経営も」なんていうとすごいように見えますが、実際やってみるとそうでもないですよ。どっちが大変かというと、技術の方が大変です。ぼりゅーむが沢山あります。でも、いかしかたが分かると、どんどんやろうという気がおきます。それは、生かしかたが分かると、その技術の価値もますます分かるからです。技術は金よりも圧倒的に強いです。


しかし、技術の方が大変だから、楽をして金だけ儲けたいと言う人は、経営者をある意味神格化したがるわけです。


回りくどくなりましたが、なぜ、「エリート症候群がベンチャーを滅ぼす」なんていうことを書いたかというと、それは、エリートと呼ばれる人や、他の人を指導しているようなトップエンジニアの人に、もっと、真剣に自分の仕事の価値を考えてほしかったのです。ただし、その価値とは「転職市場でいくら」とかそういう価値ではありません。


「あなたの仕事がどれだけの人をちょっとでも幸せにしたか?」というのが社会的な仕事の価値であり「どうやったらもっとその価値を沢山の人に味わってもらえるか」をやはり、他の人よりも仕事が出来ると言われている人たちは考えるべきではないでしょうか?と個人的に思いました。
(もちろん、この考えに賛成する、反対するは個人の考え次第で個人が考えることだと思います)