お金とは

僕は、お金を扱うのは、ある意味、刃物を扱うのにすごく似ていると思う。
たしかに、お金には危険な面ももちろんあるが、有効な部分はより多いとおもう。

お金とは、元来、相手と自分の価値の流通のために作られた流通手段だ。
だれもが、平等に自分のほしいものを得られる、本来、きれいなものだとおもう。


それに、自分の意志を通すために相手に協力してもらうときにも、とても重要な役割を果たす。
「自分と目標が完全一致している相手」なんて、ほとんどいない。
大枠で一致していても、絶対にどこかがずれているはずだ。
なぜならば、人間の思考は多種多様で、完全に同じものが好きな人なんていないからだ。


もし、「自分と目標が完全一致している相手だけでくむ」なんてことを考えていたら、それは無理だし、現状は完全にそうだと本気で思っているようならば、もういちど、相手が本当に100%満足しているか考えた方がいい。
相手がいわないだけで、実際には、我慢しているだけだ。


日本人は、お金に対してきたないものだと考える風習が結構根強いとおもう。
「お金は欲望の象徴」だからそうかんがえるのだろう。


だが、これは逆にいやらしい。
なぜならば、「直接お金が絡まない」ということを、理不尽な自分勝手な欲望を押し通すための言い訳に使えるからだ。
結構、技術者はそういうのに悩まされている人がおおんじゃないだろうか?


例えば、「お金のためじゃなく働く」という社風は良く聞こえるかもしれないが、とんでもないことだと思う。「衣食足りて礼節を知る」というが、まずは、最初の目的が満たされてから文化は生まれるものであると僕は考える。
「お金のために働くな」なんていう人事担当社は本当におかしいと思う。
こういう会社は、だいたい、みんな不満を持ち続けて働いているから、「思いやり」にかける人が大半になってしまう。


経営サイドが「お金に関係なく働いてくれる人を募集しよう」とか、「自分はお金のために働いてないから。(暗黙的におまえも金に関しては我慢しろ)」なんて言い出したらもう、そこの組織は終了だ。


はっきりいって、そこにはもう、経営者のエゴしかない。
経営者がやりたいことのために、他の人は犠牲になってくれということだ。
そんな経営者に誰も付いてこない。


たとえ、悪気なく言っていたとしても、みんな、逃げていくだろう。


もちろん、仕事においてお金に関係ない部分はたくさん存在する。
僕が、この仕事を選んだ理由もお金ではない。お金に関係なく、自分の趣味の延長上でやってきたから、これだけのEclipseのソースやMySQLのソースを解読したりとか、他の人がなかなかやれないことも出来るようになったと思う。


だけれど、人生は仕事だけではない。
だから、経営者はビジネスに協力してくれるメンバーが、100%なんでも自分とやりたいことの方向性があっているんだという風に決めつけることをやめて、彼らが、組織での活動では直接できないことを満たすツール(=お金)を稼ぐことも考えなくてはならないとおもう。


結局、複数の人間がいる会社の経営者とお金稼ぎの縁は切っても切れないものだ。


もし、お金と縁を切りたいのなら、一人でやるか、同好会的な組織でやるのが良いとおもう。
間違っても営利集団でやってはいけない。